「アレルギーの本を読んでいたら、アトピーの遺伝は母親からだと書いてあったんですが、ほんとうですか」

アレルギーの子どものお母さんから、こんな質問を受けたことがある。

ある免疫学の大家の著書に「アトピー素因の遺伝は母親経由」とあるのを読んだ覚えはあったが、ぼく白身は母親の遺伝が強いという印象はもっていなかった。気になったので、手元にあった二ヵ月間のカルテを見直してみることにした。

そこには一三三名のアトピーの子どもの家族歴データがあった。まず、「両親にぜんそくかアトピーがありますか」という質問。アレルギーの病気の中でアレルギー体質が最も子どもに反映すると言われているのはぜんそくとアトピー性皮膚炎なのである。この質問では、お父さんもお母さんも差はほとんどなかった。

ところで、美肌水を考案した前述の開業医は、アトピーの湿疹がジクジクしているときは、まずステロイド軟膏を最初の日だけ二回塗り、皮膚の状態をよくしてから美肌水を塗るように指導している。まず、炎症やかゆみを治し、きれいな状態を保つために美肌水を塗るということなのだ。これはオーソドックスで理にかなった治療である。

逆に言うと、ステロイドを塗らずに化粧水だけで治そうとするのは無謀ですよ、と彼は言っていることになる。

当たり前のことだが、ステロイドはアトピー性皮膚炎を根本的に治す薬ではない。ステロイドは炎症を抑える作用がある。アトピーの湿疹が赤くなったりブツブツに盛り上がっているのは、皮膚の細胞の中から炎症を起こす物質(ヒスタミンなど)がしみ出ているからなので、ステロイドを塗るとスッと赤みがひく。

皮膚というのは、奥のほうから新しい細胞が次々に出てきて表面の細胞を押し上げ、古くなった細胞ははがれ落ちるしくみになっている。だから、ステロイドを塗って、あとはそのままそっとしておけば、きれいな皮膚に生まれ変わるわけである。すり傷がカサブタになって、一週間で治るのと同じことだ。つまりステロイドを使う目的は、炎症による悪影響を取り除いて、皮膚を回復プロセスにのせることなのだ。「湿疹がある弱い皮膚→マイルドな治療→皮膚のバリアが回復しない→ちょっとした刺激で悪化」と、だらだらと悪い状態が続きがちなアトピーの悪循環を、バッサリ断ち切る「緊急避難」の薬なのである。

一時期、健康雑誌などで大ブレイクした「美肌水」は、じつに医者の首を締めるものだと思う。実際、あれでほんとうにアトピーがよくなるらしいのである。

ぼくがこの民間療法を知ったのは、一昨年の春のことだ。遠くへ引っ越してからもぼくのところへ通ってきている三歳と五歳の男の子のお母さんが、「美肌水を塗ってみたら、よくなりました」と教えてくれた。

この兄弟は、ステロイドを使って症状をコントロールしていた患者さんである。

「へえ、どこで知ったの?」

インターネットだそうである。

さっそく、調べてみた。「美肌水」は今井龍弥さんという名古屋の開業医が提唱したもので、尿素とグリセリンと水道水とを混ぜてつくる自家製の化粧水のこと。ぽくは最初、「また、タチの悪い新手のアトピービジネスが出たか」と思ったのだが、よく聞いてみるとそうでもなさそうだ。アトピービジネスとは、民間療法に名を借りてアトピー性皮膚炎患者をターゲットに商岫などを収売し、法列の利益を得ようとIるものをいう。だが、この「i肌水」ではだれも大儲けをしてはいないのだ。

アレルギーという言葉の語源には、「変な」という意味もある。では、アレルギーはごく限られた体質の人に起こる特殊な反応なのだろうか? ぼくはそう思っていない。アレルギーはわりあい誰にでも起こりうる、ごく普通の現象だ。

ましてや、アレルギーの子どもを連れて診察に訪れた両親がそろって「私にはアレルギーはありません」「いやいや、絶対ないはずです」などと強く主張すると、猪疑心がムラムラと湧き起こってくる。で、どうするかというと、「そうそう、たしかに症状はないんでしょうけどね」

などと言いなが、すばやくスギ、ねこ、ダユ等のアレルギーの有無を検査してしまうのである。腕をとり、ダニのエキスを一滴落として、そこを針でスッと軽く押さえるだけの簡単で、安全な検査である。もちろん、これは診療行為ではない。サービスである。症状もないのに保険診療で検査というわけにはいかない。

結果は一五分ほどで出る。アレルギーがあれば赤くはれてきて、かゆくなる。すると、たいてい両親のどちらかにダユアレルギーの反応が出る。

「お父さん、ダニアレルギーがありますよ」

と告げると、「自覚症状はないのに……」と驚かれることが多い。そこでぼくはさりげなく言うのだ。

「あったんだよねえ」検査でアレルギー反応が出るということは、ダユとか花粉とか、とにかく異種(自分以外)のたんぱくに対するlgE抗体が、体内でつくられているということを意味する。

このIgE抗体をつくりやすい体質、つまりアレルギー体質は遺伝するとされる。だから、似たような環境で暮らしていても、ぜんそくになる人もいるし、何も異常のない人もいる。

じつをいうと研修医になりたてのころ、ぼくがいちばん悩んだのが大豆の問題だった。当時、アトピーの三人食物アレルゲンは「卵、牛乳、大豆」とされていて、みそやしょうゆは除去するのが当然だった。でも、ぽくは血液検査で大豆の特異IgEが出ている子で、実際にみそやしょうゆを食べたからといって症状が悪化する例をひとつも見たことがなかった。

「なのに、どうして大豆アレルギーの子はみんな、みそやしょうゆを除去してるのだろう?」 と、疑問に思っていた。

アレルギーはその食品全体に対して起こるのではなく、ある食べ物に含まれる「特定のたんぱく」に対して起こる現象である。みそやしょうゆは蒸した大豆を発酵させたものだ。豆腐は大豆をすりつぶして加熱し、にがりで固めたもの。納豆は加熱したうえで、さらに発酵させている。ひょっとしてアレルゲンとなるたんぱくは残っていないんじやないのか?

ぼくは悩んだ末、「検査で大豆アレルギーが出ていても、症状が出なければみそやしょうゆは食べていいですよ」と指導することにした。以来、現在にいたるまで、それでトラブルが起きたことは一度もない。

検査上で大豆アレルギーがあっても、みそやしょうゆ、豆腐、納豆は食べられるのだ。大豆油もだいじょうぶ。調理のときに高温で加熱されるから微量のたんぱくが残っていたとしても、変性してしまう。みんな、思い込みにふりまわされているのだ。

その証拠に、ぼくはえびアレルギーなのに、「かっぱえびせん」が食べられる。

ところで、アレルギー反応を引き起こすカギになる「lgE抗体」が発見されたのは、一九六六年のこと。血液中のlgE抗体の検査が保険診療で認められて一般化したのは、一九七九年以降である。しかし、ある検査が発明されると、それに関係した病気が増える傾向がある。そのことに気を取られて、まわりが見えなくなるからである。

ぽくも、長年アレルギーの患者さんばかり見ているから、「咳が止まらない」と聞けばぜんそく、「鼻水が出る」と聞けば花粉症をすぐ頭に浮かべる傾向があって、気をつけなければいけないといつも思う。

先日も「ハナが止まらない」といって、五歳の男の子が来院した。ニカ月も前から鼻をグズグズさせていて、別の医師にかかっていたがちっともよくならないというので、ぼくのところに来たのである。飲んでいた薬の名前を確かめると、アレルギー性鼻炎の薬だった。

ある日、ハムスターに指をかまれた子どもが来院しか。ハムスターはペットとして今やたいへんなブームになっていて、大人から子どもまで広く人気がある。ハムスターのあの無表情さが、じっと見ているとかわいくてたまらなくなるとか。しかし、ペットにはアレルギーがつきものである。

この子の症状は、衝撃的なものだった。かまれたところからワーツとじんましんが広がって、次にゼイゼイしはじめて呼吸困難におちいったのである。一分間もかまれ続けたというから、ハムスターアレルギーの人にとっては毒を注射されたも同然だ。一目見てすぐに、この子はアレルギーなんだなとわかった。

ショック症状の治療を終えると、この子のお母さんにぼくはこう言った。

「そのハムスター、当然、隣の家のねこにプレゼントしたんだろうね?」

もちろんタチの悪い冗談だ。でも、人間にかみついて、しかも重いアレルギーを起こすペットは、だれかに貰ってもらうとかして処分するしかない。

ところが血液検査をしてみると、この子は「ハムスターの毛」にはアレルギーはなかった。それならば、原因は「ハムスターの唾液」だろう。しかし、ハムスターの唾液の検査キットは市販されていないから、直接、ぼくが自分で唾液を採取するしかない。そこで、次回の診察のときに「犯人」を連れてきてもらうことにした。

しつこいようだが、IgE値だけでアレルギーは診断できない。検査というのはその数値を見て、どう判断するかが大事なのである。

きわめつきの例があった。生後九ヵ月の赤ちゃんの話だ。ある夜のこと、八時ごろにバナナを一切れ食べさせてから母乳を飲ませた。一一時半ごろになって、全身にじんましんが出ているのを発見。食べたものを吐いて、ゼイゼイして苦しがりだした。アナフィラキシーショックである。一刻を争う事態で、救急車で大きな病院にかつぎこまれた。

翌日、相談に来たお母さんと議論になった。

「私はその日夕食にえびを食べたんです。だから、病院の先生はえびが原因だろうと。バナナではショックは起こさないだろう、って」

ぼくは花粉症の人にアレルギーの検査をする気にはなかなかなれない。検査しなくても簡単に診断できる病気だからである。それどころか、医者でなくてもけっこう正確に診断できるかもしれない。同じような症状の人はまわりにいくらでもいるからだ。

スギ花粉の飛ぶ時期に一致してくしゃみ、鼻水、目のかゆみが出る。そんなとき隣に座っている同僚から、

「わたしと同じ症状ね。きっと花粉症だわ。お仲間ね」とでも言われたら、きっと納得してしまうだろう。

そして、ぼくが診察したとしても、お話しする内容はこれとたいした差はないのである。検査しなくたって、原因はスギの花粉に決まっている。

ぼくの医院は小児科以外にアレルギー科も標榜しているので、毎年二月、三月になると「花粉症になったみたいなんです」という大人の患者さんもたくさん見えるが、まず、「検査しますか?」と言って、反応をうかがうことにしている。

「ウーン、どうしましょう」と考え込むようだったら、ひと呼吸おいて、「かゆいですか。かゆければ花粉症でしょう、検査はいりません。治療だけしておきましょう。花粉症なら同じことがまた来年起こります」と話してすませている。

花粉症の人は目がかゆい。鼻の中もかゆい。耳の穴がかゆいという人もいる。アレルギーとはかゆいものなのである。

四五歳のときに、ひさしぶりに行った血液検査の結果だ。血液の中に「何に対するlgE抗体がどれだけ含まれているか」を示す数値が並んでいる。

たとえば、「スギ花粉一七・九八U」というのはスギ花粉に反応してアレルギーを起こす抗体の量のこと。すでにアレルギーの症状が出ている場合、この数字が大きいほど症状も強いと考えていい。ほかにも、ねこやヒノキ花粉、食物ではえび、かになど、いろんなものにアレルギー抗体をもっていることがわかる。

ぼくが自分の食物アレルギーに気がついたのは小学生のころで、あさりやしじみのみそ汁を飲むと、のどがかゆくなった。次に貝を食べたのは大学時代で、あさりの酒蒸しは食べることができた。たこやいかも食べられなかったが、今ではたこ焼きぐらいなら平気。いか刺を食べるとのどがイガイガする不快感がある。

ただし、これがぽくがもっているアレルギーのすべてとは限らない。

この検査はリトマス試験紙を浸して検体をひとつずつ調べるみたいなものだ。スギ花粉を人れたら反応があった。ダニも反応があった。でも、卵白はほとんど何も起こらない。こんなふうに、疑わしい物質をリストアップして、その物質に対する抗体の有無をひとつひとつ調べるという、あまり効率的でない検査なのだ。それに保険の関係上、一度に検査できるのはせいぜい一五項目くらいと決まっている。