ステロイド剤はぜんそくの治療にもよく使う薬だ。アトピーとは違って、ステロイドの吸入をいやがる患者さんは少ないようである。この数年で、ぜんそくのステロイド吸入療法はすっかりオーソドックスな治療法になった。
内服にくらべたら、副作用の危険ははるかに小さい方法だが、それでもぼくはすんなり受け入れることができない。感染症を悪化させるなどの心配はつきまとうし、ぜんそく発作を薬で抑え込むだけでは、ほんとうの意味で治療したことにならないと思うからである。
ただ、ぜんそくの患者さんのほとんどはダニのアレルギーがある。ダニは生活の中で出るホコリの中に何億という単位で潜んでいるから、ダユを完全に排除するのは不可能に近い。では、ぜんそくはどうやって治したらいいのだろう?
ここで、よくあるぜんそく卒業のパターンをひとつ紹介しよう。
去年の夏のことである。「この子は大学病院でぜんそくと言われて治療をしているんですが、いっこうによくならないし、遠くてとても通いきれなくなりまして」と、子どもを連れたお母さんが診察室に現れた。患者さんは小学校二年の女の子。六月ごろから鼻血がよく出るようになって、どうしたんだろうと心配しているうちに、八月に入ると咳き込むようになったという。大学病院で血液検査をするとハウスダスト、つまりダニのアレルギーが出た。
「これは生活環境に問題があるからダユ退治を」と言われたお母さんは、朝晩掃除をした。カーテンを洗い、じゅうたんを捨てた。防ダニふとんカバーを買い、枕の中身はパイプに替えた。本に書いてあるようなダニ対策は全部やったわけだ。ぜんそく発作を鎮めるための気管支拡恨剤も毎日飲んでいた。だが、予どもは相変わらず発作を繰り返している。
そこでぼくは言った。 「お母さん、なんか見落としているんじゃないの?」
この子がダニアレルギーであることは間違いないが、血液検査でダニのlgE抗体が出ても発作の出ない子はたくさんいる。今、なぜ、どういう状況で発作が起こったかという原因究明が物足りないと思ったのだ。
まず、鼻血がよく出るのは、鼻をごしごしこすったことを意味している。こするのは、鼻がかゆいからだ。鼻の粘膜にダニがくっついてかゆくなったのだろう。とすると、ぜんそく発作が始まったのは八月としても、鼻血が出始めた六月に、すでに何かぜんそくを引き起こすような原因があったはずである。
そこまで話すと、お母さんがアツ、と小さく叫んだ。 「そういえば、六月に知人から布ソファをもらったんです」 「元凶はそれだよ、お母さん」
しかも、ソファの元の持ち主は犬を室内で飼っていた。毛がもじゃもじゃのワンちゃんがソファの床に寝そべっている図が目に浮かぶ。
ただし、ステロイドを飲むとか注射をするとなると、話は別である。去年あたりから、「花粉症にステロイドの筋肉注射を一本」なんて記事が週刊誌になんの疑問もなく載るようになっているのは、ぽくにはほとんど悪い冗談としか思えない。
たとえば、ある耳鼻科医は週刊誌でこう語っていた。 「私の病院では、花粉症患者に『デカトロン』というステロイド剤を注射しています。
花粉症による鼻づまりで不眠になるような重症患者でも、この薬を注射すると、ピタリと症状が治まることが多い」
こんな医者がいるなんて。デカトロンというのは相当に強いステロイド剤で、重症のぜんそく発作やショック状態など、まさに生か死かという病気のときに使うことを許される。
ステロイド剤の強い作用を継続的に受けると、ホルモン異常を起こして血糖値が上がったり、免疫力が低下して感染症を起こしやすくなる。白内障を起こしたり、骨粗しょう症になったり、子どもでは成長障害が出ることもある。どれも重大な副作用ばかりだ。こういうことは、医者なら誰でも知っているはずだ。抗がん剤などと同じで、それでも病気を冶すためにあえて危険をおかさねばならないときの薬が、デカドロンなのである。「ピタリと症状が治まる」のは当然で、こんな人をバカにした話はない。
花粉症で注射を打ってもらったという患者さんは、ぽくのところにも何人か現れた。知らん顔して、こう質問してみた。
「注射? 何の注射ですかねえ。よくなりました?」
「何の注射かは聞いてないんですけどね、すごい効きめですよ。打ったあと、体がポッポツして、食欲は出るし、なんか元気になった感じです。顔はつっぱったみたいになって」
アトピーの人の皮膚は下着の縫い目がこすれただけで赤くなるくらい、刺激に弱い。だから、「そっとしておくこと」がなかなかできない。だらだらと治りきらない状態が続くと、つい長くステロイド剤を塗ってしまいがちだ。弱いステロイド剤でも、長く塗れば副作用が出る。
最近の若い人はこのへんのことは承知しているので、初診のときに「ステロイドは使いたくないんです。いろいろ問題もあるようだし」と、はっきり言われるケースが増えてきた。いいことだと思う。そんなとき、ぽくはその意向に従うことにしている。治療というのは医者と患者が納得しあって進めるものだからだ。
ただ、アトピーが重症になってしまったときは、ステロイド剤を使わないで治そうとするとたいへんな時間と手間がかかるのも事実である。
ぽくのところにはかなり重症のアレルギーの患者さんも通って来ている。血液検査IgE値を調べると、卵にも牛乳にも小麦にも強いアレルギーがあって、どれもが最高レベルの「スコア六」というような人が何人かいる。こんな重症のアレルギーはほんとうにまれなのだが、こうなると除去食療法は不可能である。アレルゲンを全部除去したら食べるものがなくなる。
もちろん、えびやかにのようにショックを起こす危険のある食物だけは禁止するが、食事指導と少々のステロイド軟膏ではなかなか、スベスベという皮膚にはならない。毎日かゆくなるものを食べているのだから、当然だ。
「もっと強いステロイド剤を使って、早く軽症の状態にもっていきたい」とぽくが思うのはこんなときである。
赤ちゃんのひっかき病はかゆい湿疹があるために起こるが、「かゆくないのに、ひっかくアトピー」というのもある。この場合はいくらステロイドを塗っても治らない。
ステロイドは劇的によく効く薬だ。たとえば、ひどい虫刺されに塗ってみる。たちまち赤みは消え、はれがひき、かゆみも止まる。「赤くはれる」というのは炎症で、ステロイドは原因が何であれ、火に水をかけてシャツと消すように、炎症を止める薬なのだ。だから、ステロイドを塗っても湿疹が消えないときは、「アトピーはアレルギー病だ」「アトピーは刺激に弱い」というりえか・いったん頭の中から追い出して、何が真の原囚なのかを、症状を観察しながら探してみたらいいと思う。
新学期が始まつてしばらくしたころ、「アトピーが悪化して。薬を塗っても治らないので来ました」と、小学校三年生の女の子が来た。家ではそうでもないのだが、授業中にもかゆくてボリボリひっかいてしまうという。検査でダユアレルギーが出ている患者さんだったから、「暖かくなってきたし、やっぱりダニが原因でしょうか」とお母さんは心配そうに言うのだが、「それは違うと思いますよ」とぼくはいった。
ダニ、つまりホコリは家より学校のほうが少ない。授業中にひっかいて、家ではあまりかゆくないというのは、ダニが原因ではない。担任の先生やクラスが替わると、そのストレスでアトピーが悪化する子どもは多いのだ。
「学校でのストレスでしょう。夏休みに入ればよくなりますよ」
雅実、そのとおりになった。でも、二学期になると、また悪化した。「かゆくて我慢できないと保健室で寝ていることもあるが、そのときはかゆがらない。教室に戻るとかゆく々る。そしていったんかきだすと止まらなくなる。放心状態でボリボリひっかくので、担任の先生も困っているという。これはたんに、「かゆいからかいている」状態ではない。ひっかくという行為によって見えないバリアを張りめぐらせ、自分の世界に閉じこもっているのである。
ところで、馬油やワセリンが花粉症にいいのなら、アトピーにも効くのではないか? こう思った人は少なくないだろうが、そのとおり。アトピーの人の多くはダニアレルギーなので、馬油などのオイルやワセリンなどを塗って皮膚に油の膜をつくっておくと、ダユやホコリが直接皮膚にくっつかないので、アレルギー反応を起こさない。
たとえば、パンを室内に一週間ほど放置すると、カビが生えてくる。これは空中にカビの胞が飛んでいる証拠である。このことからわかるように、日常の生活空間には、カビやダユなどの異物がたくさん混じっていて、それは皮膚にもいっぱいくっつく。アトピーの人はそれらの刺激に過敏に反応して、湿疹ができやすいのである。
また、アトピーの人はかゆいので皮膚をひっかく。このため、目に見えない小さな傷もいっぱいついている。
ためしに、アトピーの人は消毒用のアルコールをコットンにしみこませ、ガサガサの部分をふいてみるといい。ピリピリしみるはずである。目に見えない、小さな傷かおるのだ。だから、いろんな刺激に弱い。火傷や切り傷と同じで、表皮に傷があると、石けんやお湯でさえ、しみるものである。
一歳以下の子どものアトピーは、症状が順に出ることが多い。体の症状はあまり気にならないのが普通である。
食物アレルギーが原因なら、アレルゲンは血液に入って体中に回るはず。それなら症状は全身に出てもおかしくない。しかし、顔だけが赤くなるのはなぜだろう。答えは簡単。赤ちゃんは体をひっかけないからだ。アトピーはひっかいたり、こすれたりすることで湿疹ができる病気。ひっかかなければ悪くならないのだ。ダユアレルギーが原因のアトピーは、三歳すぎから出てくるのが普通で、汗や汚れがたまりやすくて皮膚がやおらかいひじの内側やひざの裏などに症状が出やすい。
あるとき、生後七ヵ月の男の子を抱っこしたお母さんがやってきた。
「ひどくなってしまいました」
いつになくお母さんの表情が暗い理由は、赤ちゃんの顔の状態にあった。ほっぺが真っ赤で黄色い汁が出ており、一部はカサブタになっている。この子は血液検査で卵と牛乳のアレルギーかおることがわかっていたが、離乳食では卵や牛乳を与えていないという。
幼児には卵と牛乳のアレルギーが多い。それで、「このパン、卵入ってたんでしょうか」とお母さんに相談されることがよくある。
あるとき、ファーストフードのハンバーガーに卵や牛乳が含まれているか調べて、驚いた。 「マクドナルド」の定番のハンバーガーには、卵も牛乳も使われていなかったのである。パンにも、肉のつなぎにも、だ。材料をケチつているというのではない。「さすがに世界の大企業だな」と感心したのだ。
アレルギーの中にはすっきり治るものとこじれやすいものがある。小さい赤ちゃんの卵・牛乳アレルギーは「除去食」によって、すっきり治るものの代表格なのである。除去食というのは、アレルゲンとなる食べ物をいっさいとらない治療のことだ。
「除去食でアレルギーが治るわけじゃない。アレルゲンを食べないから症状が出なくなるだけだ」とか、「卵と牛乳のアレルギーは、成長すると自然に治る」という医者もいるのだが、ぼくの言う「治る」とはそういう意味ではない。除去食によってIgE値が次第に下がり、食べても症状が出なくなる、ということである。つまり、また食べられるようになるのだ。
ただし、これがあてはまるのは除去してIgE値が下がる一部の食物アレルギーの場合だけで、えびや貝のIgE値は食べていなくてもほとんど下がらない。卵と牛乳は除去するとわりあい簡単にIgE値が下がるのだ。
除去する期間はどのくらいかというと、個人差はあるが、およそ一年~一年半。ただ、短期間で急速にIgE値が下がるケースもないわけではない。
十数年前のこと、ぼくの患者さんでみごとに花粉症から解放された人がいる。静岡県で勤務医をしていたころの話だ。
花粉症はたいてい、最初の数年は年ごとに悪化する。そして、一〇年目くらいで峠を越すパターンが多い。ところが、その四〇代の男性は治療をはじめたとたんに毎年症状が軽くなっていったのである。数年後にはほとんど症状が出なくなっていた。しかし、特別な治療をしたわけではない。花粉が飛ぶ二週間くらい前から抗アレルギー剤を飲み、花粉を吸い込まないようにマスクをし、ふとんや洗濯物は外に干さないなどの、基本的な生活指導をきちんと守っただけだ。
細かなデータがないので、今となってはその理由は証明できないが、ぜんそくの患者さんが自然に治癒したときによく、「発作の出し方を体が忘れてしまったようだ」と言われることがある。それと同じようなことかもしれない。
彼が住んでいた静岡県は、日本有数のスギ花粉飛散地だ。「スギがほとんどない北海道に引っ越したら花粉症が治った」というならともかく、わんさと花粉が飛んでいる真っ只中に住んでいてアレルギーが治るとは、なんとも前向きな、いい話ではないか。それも、対症療法だけで治ったのだから、これは驚きである。
医学の教科書には、「花粉症は自然治癒がほとんどない」と書かれている。いったん花粉症になると、誰もが一生涯つきまとわれるぐらいの覚悟をするようだ。アレルギーは一生治らない……。そう思っている人が多いようである。
IgEというのは「免疫グロブリンE」の略で、リンパ球でつくられる免疫抗体の一種である。花粉症の人が花粉を吸い込むと鼻水が出るのは、花粉のたんぱくとIgE抗体が反応し、鼻水を出させるヒスタミンなどの物質が細胞から飛び出してくるためだ。血液中のIgE値が下がれば、普通は症状が軽くなると思っていい。
IgE抗体は初回にアレルゲンに接触してから1週間後につくられはじめ、一日目にアレルギーの症状が出現している。この経過を見ていて驚いたのは、IgE値が想像以上に短期間で大量につくられるということと、もうひとつはアレルゲンが除去されるとこれまた、ストーンと急激に量が減ってしまうことだった。
そこでIgE値の半減期(数が減って最天時の半分になるまでの時間)を調べてみると、二目から三日であることがわかった。一週間でつくられ始め、一週間で消える計算だ。はしかの免疫に関係しているIgG抗体の半減期はおよそ三ヵ月だから、IgEはずっと短命なのだ。
とすると、みなさんも花粉症をあきらめるのはまだ早い。スギ花粉のIgEはどんどんつくられ、どんどん壊れていっているのだから。
「お父さんやお母さん、ごきょうだいに何かアレルギーの症状はありますか? 花粉症とか、ぜんそくとか、アトピー性皮膚炎とか、じんましんとか……」
アレルギーで医者にかかると必ず、出る質問である。「家族歴をとる」というのだが、あるとき、こう言ってのけた人がいた。
「アレルギー? とくにありません。ただ、主人が私にアレルギーがあるだけで」
そのアレルギーつて、つまり近寄らないってこと? いや、ちがう。「近寄れない」というほうが真実に近いだろう。もちろん冗談だが、このお母さんの発言は意外と的を射ている。アレルギーの本質は「排除」なのだ、とぼくは思う。
花粉症の鼻水、ぜんそくの咳き込み、アトピー性皮膚炎(以下、アトピーと略す)のひっかき行動。あれはみんな、「排除の動作」と考えるとわかりやすい。
ダニアレルギーの人が爪を立ててガリガリかきむしるのは、皮膚についたダユをはぎとる行為。花粉症のくしやみは花粉を吹き飛ばし、鼻水は花粉を洗い流す。えびアレルギーの人がえびを食べてのどがむずがゆくなるのは、「早く吐き出してしまえ」との警告サインとうわけである。
アトピーの場合、いったんかゆくなると徹夜でひっかき続け、朝になるとパジャマが血だらけという患者さんは珍しくないし、子どもがおちんちんをひっかきまくって、袋の部分が血まみれになるまでかき続けるなんて、よくある話だが、「あそこまでするのは、ダニはかいてもかいても排除しきれないからなんだ」と考えると納得がいく。
私は学会で発表することが多いが、人の研究発表を黙って聞いているのは苦手である。新しい発見がないと、子どもみたいにすぐ退屈してしまうのだ。われながら失礼な奴だと思うが、むやみに数字や専門用語を並べただけの医者の話なんかより、毎日やってくる患者さんのほうがよっぽどおもしろいことを聞かせてくれるのは事実だから、しかたがない。
先日も、おもしろいことを言うお母さんがいた。六歳の男の子がかぜをひいたというのでやって来て、帰りがけに、「先生、花粉症には馬油がいいみたいですよ」と言うのである。
「おかげで今年は鼻のほうはよくなっています」と。聞き捨てならぬ話ではないか。よくなったのはお母さんの鼻ではない。息子のほうだ。幼稚園児にして、彼はすでにスギ花粉症なのである。
「えっ、馬油。どうやったの?」
あわてて引き止めて問いただすと、「尊馬油(ソンバーユ)」などの商品名で売られているものを一目二回、鼻の内側に綿棒で塗ってみたのだという。有名なプロのテニス選手がこれでよくなったと雑誌で読んで、試してみたのだそうだ。
「鼻水も少ないし、最近は鼻血も出なくなりました」
この子どもはハウスダスト(ダユ)やスギ花粉のアレルギーがあるため、いつも鼻がかゆくてゴシゴシこすっている。鼻血が出るのは鼻をこすりすぎるからだ。
ウーム、これはたしかに効くだろうなと、ぼくは思わず唸ってしまった。たぶん、馬油の油膜が花粉をブロックするのだろう。
馬油と聞くと、アレルギーを治す未解明の成分でも含まれているのか? と思ってしまいそうだが、そうではない。馬油は、馬肉の脂肪を蒸して溶かしたものを濾過してつくられるもので、要するに脂である。そして、油分は水をはじく。ここがポイントだ。
鼻の中に入った花粉は鼻粘膜の水分でふやけ、花粉のたんぱく成分が溶けて細胞の中に入り込むことによってアレルギーを起こす。でも、油を塗っておけば、花粉は細胞の中まではしみ込まない。アレルギー反応が起きにくくなるであろうことは容易に想像がつく。
「そんなこといったって、鼻の奥までは油は塗れないでしょう」
ひょっとして、こう反論されるかもしれない。