私は学会で発表することが多いが、人の研究発表を黙って聞いているのは苦手である。新しい発見がないと、子どもみたいにすぐ退屈してしまうのだ。われながら失礼な奴だと思うが、むやみに数字や専門用語を並べただけの医者の話なんかより、毎日やってくる患者さんのほうがよっぽどおもしろいことを聞かせてくれるのは事実だから、しかたがない。
先日も、おもしろいことを言うお母さんがいた。六歳の男の子がかぜをひいたというのでやって来て、帰りがけに、「先生、花粉症には馬油がいいみたいですよ」と言うのである。
「おかげで今年は鼻のほうはよくなっています」と。聞き捨てならぬ話ではないか。よくなったのはお母さんの鼻ではない。息子のほうだ。幼稚園児にして、彼はすでにスギ花粉症なのである。
「えっ、馬油。どうやったの?」
あわてて引き止めて問いただすと、「尊馬油(ソンバーユ)」などの商品名で売られているものを一目二回、鼻の内側に綿棒で塗ってみたのだという。有名なプロのテニス選手がこれでよくなったと雑誌で読んで、試してみたのだそうだ。
「鼻水も少ないし、最近は鼻血も出なくなりました」
この子どもはハウスダスト(ダユ)やスギ花粉のアレルギーがあるため、いつも鼻がかゆくてゴシゴシこすっている。鼻血が出るのは鼻をこすりすぎるからだ。
ウーム、これはたしかに効くだろうなと、ぼくは思わず唸ってしまった。たぶん、馬油の油膜が花粉をブロックするのだろう。
馬油と聞くと、アレルギーを治す未解明の成分でも含まれているのか? と思ってしまいそうだが、そうではない。馬油は、馬肉の脂肪を蒸して溶かしたものを濾過してつくられるもので、要するに脂である。そして、油分は水をはじく。ここがポイントだ。
鼻の中に入った花粉は鼻粘膜の水分でふやけ、花粉のたんぱく成分が溶けて細胞の中に入り込むことによってアレルギーを起こす。でも、油を塗っておけば、花粉は細胞の中まではしみ込まない。アレルギー反応が起きにくくなるであろうことは容易に想像がつく。
「そんなこといったって、鼻の奥までは油は塗れないでしょう」
ひょっとして、こう反論されるかもしれない。
しかし、スギ花粉は粒子が大きいから、鼻の奥には入らないものなのだ。花粉が付杵するのは、鼻の入り口付近のせいぜい1から3センチあたりだ。もし、花粉が肺や気管支に入るなら花粉症の人はアレルギー性の咳が出るはずである。花粉症で咳が出ないのは、花粉が奥までは入らないからなのだ。
だから、花粉症対策には油を綿棒に塗りつけ、鼻に突っ込んでクルリと一回転させれば用は足りる。鼻の中に入ってきた花粉はみんな油にくっつくから、家に帰ってお風呂に入れば、花粉は湯気で洗い流される。なんと単純明快な、すばらしい解決法だろう!
しかし、この「理論」が正しいとすると、何もわざわざ馬油を買わなくても、鼻の粘膜に刺激のない油なら、何でもいいはずだ。たとえば、ワセリンでも効果は同じはず。
そこで、ぼくも花粉症なので、さっそく鼻の穴にワセリンを塗って、花粉だらけの戸外に出てみた。たしかに鼻水の量は減るようだ。知人にもすすめてみたところ、「外出するときワセリンを塗っておくと、夜になって鼻がつまることがなかった」と話してくれた。おかげで、鼻水を止める抗ヒスタミン剤の内服薬を使わないですんだそうだ。
あまりにあっけない解決法なので、にわかには信じられない人もいるだろうが、アレルギーとは本来、こんなものなのだ。